P・K・ディック『空間亀裂』
2013-03-10


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ある機械の内部に偶然発見された亀裂から別の空間に移動できるようになるというアイディアは、SFにはよくあるもの。普通は、亀裂の発見から生じる世界や一国を巻き込むような大騒動を描くか、または亀裂の発見を隠して個人の人生と絡め人情ドラマに持ち込むかのどちらかになることが多いのだが、決してどちらにもならないのがディックならではの面白さである。亀裂の中に愛人を隠してみたり、亀裂の向こう側に何千万人もの冷凍睡眠者を送り込もうとしてみたり、さらには向こう側からとんでもないものが出てきたり、出てきたと思ったらすぐ引っ込んだり、もうやっていることが無茶苦茶、支離滅裂。個人の思いつきで世界全体がすぐに動いてしまうので、特に物語の後半において、おいおい、いくらなんでもそれはないんじゃないのと突っ込みたくなる個所が満載である。そうした意味では楽しめるのだが、普通の読書体験を求めている人には苦痛以外の何物でもないだろう。頭上に浮かぶ娼館衛星とか、その支配人であるシャム双生児とか個々のアイディアやキャラクターは面白いので、ちょっともったいない気はする。

 私見では、この異形の双生児ジョージ・ウォルトが悪になりきれていないところに本書最大の欠陥があるのだと思う。ディックがこのキャラをもっと掘り下げて描き、パーマー・エルドリッチやジョー・チップぐらいの存在感を持たせることができていれば、おそらく黒人大統領候補ジム・ブリスキンやテラン開発社長レオンとの闘いにもっと緊張感がもたらされ、物語の完成度は高くなったことだろう。しかし、それもいいかもしれないが、このだらだらした展開も捨てがたい、というのが(自分も含めた)ディック・マニアの偽らざる感想ではないだろうか。いや、本当に普通のSFの十倍は楽しめました。未訳の残り2冊(『ヴァルカンズ・ハンマー』『ガニメデ・デイクオーヴァー』)も早く読みたいものです。佐藤龍雄さん、よろしくお願いします!

 校正を一つ。103頁の「ジスビー・ウォルト」は「オルト」では?
[science fiction]

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