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覚醒を制御する神経ペプチド「オレキシン」を発見した医学研究者による科学技術とSFを比較したノンンフィクション。小説だけでなく、漫画、映画、ドラマなど題材は幅広く、最新の技術と比較することでそれぞれの作品を見つめ直すきっかけともなるだろう。著者は1964年生まれなので、自分と同じ世代であり、登場する作品がいずれも馴染み深い。現実はここまで来ているのかという驚きと懐かしい作品を再発見する喜びが同時に味わえる一冊となっている。どんな作品がどのように取り上げられているのか簡単に紹介しておきたい(煩雑になるので作者名はすべて省略した)。
1章では「サイボーグ技術」が取り上げられている。中枢神経系(脳と脊髄)以外を人工物に置き換えた「埋め込み型」サイボーグが登場する作品として、〈ジェイムスン教授〉シリーズ、『サイボーグ009』『攻殻機動隊』『銃夢』などが紹介されている。しかし、140億個の大脳皮質ニューロンから伸びる運動ニューロンの活動電位を検知し人工体に接続して動かすということは、現実にはかなり難しいようだ。運動系の末梢神経は、何万本もある軸索の束から構成され独立した情報を運んでいるので、それぞれの活動電位を分離して検出しメカニズムに接続することが困難だからである。また、従来のサイボーグは、人間の持つ対応力や判断力と機械とを融合した存在として描かれてきたが、現在では、もはやAIの判断力の方が人間を凌いでおり、中枢系を残す意味が薄れている。したがって、近未来のサイボーグは兵器としての用途よりも、医療目的が重要になってくるとの指摘は興味深い。なお、本書では、埋め込み型だけでなく、スーツをまとう「装甲型」も一種のサイボーグとして『宇宙の戦士』『機動戦士ガンダム』などを取り上げているが、こちらは著者も書いているように、本当にサイボーグと言えるかどうか、乗り物ではないのかという疑問が生じるだろう。現実には、筑波大の山海教授率いるCYBERDINE社がロボットスーツ「HAL」を2015年より販売しており、「装甲型」は既に実現されている。
2章は「脳と電子デバイス」を扱っている。1章で述べられているように、運動系の末梢神経とメカニズムとの接続ですら困難であるのに、視覚、聴覚、味覚などの「特殊感覚」といわれる感覚を司る末梢神経と電子デバイスの接続はさらに困難であると著者は述べる。たとえば、視神経には百万本の軸索があり、大脳後頭葉にある複雑な視覚野と接続されている。このインプットとアウトプットを電子デバイスで行うのはきわめて困難であり、大脳皮質との接続は現時点では夢物語にすぎない。現実に行われているfMRIなどの脳機能画像解析技術では、空間的にも時間的にも分解能がまったく足りず、装置も巨大になってしまう。しかし、電極を大脳皮質の表面に置いた皮質脳波を用いれば、アウトプットを限定的に外界の制御信号に変換することは可能なようである。一つ一つのニューロンの活動電位をモニターする高密度な電極と超高速のデータ処理システムが開発できれば、電子デバイスとの接続も可能になるかもしれない。また、数十万個のニューロンから成る「カラム」単位で行われている情報処理を模倣することであれば、ニューロン単位の処理よりも容易にできる。もしもそのような形でデバイスとの接続を果たしたとしても、人の前頭前野にある「ワーキング・メモリー」の容量は実に小さいため、処理の限界がある。前頭前野は自我や道徳心、人格に関係しており、外部デバイスで拡張することにはリスクが伴う。電脳化への道はなかなか険しいようだ。しかし、いつかは実現するのではないかというのが著者の見方である。本章では作品はあまり登場しないが、『攻殻機動隊』の先見性は高く評価されている。