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総じて、シンプルな発想を軽妙に語る典型的なワン・アイディア・ストーリイなのだが、語り口が巧いため、自然に引き込まれる。6のように荒唐無稽な発想であっても、新聞記者の手記の形をとって科学者のインタビューから始まり徐々に話を盛り上げていくので、読者はこういうこともあるかなとリアルに感じるわけだ(絶対にないのだが)。他の作品でも、主人公が体験を医者に語るとか、クラブで出会った男の語りから始まるとか、話の入り口が実に上手い。SF専門誌ではなく、〈ブルー・ブック〉などの一般誌に書くことが多かったので、このようなテクニックが身についたのだろう。浅倉久志氏が『グラックの卵』解説で、6について「文書のタッチが意外に落ちついた新聞記者物の感じなのに驚いた」と書いているように、文章もしっかりしており、オチも見事。1930〜40年代にかけて書かれたユーモアSFのお手本と言える。中には、5や7のように、やってはいけない「宇宙人(新人類)オチ」のような作品もあるが、まあこれはご愛敬といったところ。7篇中のベストは、やはり4「街角の書店」になろうか。2「鏡の中を歩いた男」も捨てがたい味がある。
ちなみに、5「全能の島」は〈宝石〉1955年2月号の特集“世界科学小説集”に、アシモフ「ロビイ」、ウエルズ「タイム・マシン」とともに翻訳された作品なのだが、いったいこれは誰が選んだのだろうか。アシモフ、ウエルズに並んでネルスン・ボンド。他の作品も、アーサー・L・ザガートとウォーレス・ウエストというマイナー作家のもので、セレクションが謎である。同号にコラムを寄せている矢野徹なのか。そうかもしれない。6を〈宇宙塵〉で紹介したのも矢野氏であったと『グラックの卵』解説に書いてあるし、どちらも1954年刊行の第三短篇集No Time Like the Futureに収録されているから、矢野氏がこれを読んでボンドを推薦した可能性はあるだろう。
中村融氏は、自身のブログ(
[URL])で、やはりこのラインナップに首を傾げておられる。版権をとらずにアンソロジーから採ったものであり、ボンドの作品も短篇集でなく、アンソロジーからの選択ではないかと推測されており、なるほどそうなのかもしれない。70年前のことなので、真相はもはや闇の中であろう。